ボリビアに到着 イリマニ山 ラ・パス

家から見たイリマニ山

2001年4月3日に日本を発ち、短期の仕事のためにここ南米の内陸国、ボリビアへやってきました。ボリビアは世界地図で見ると小さく見えますが、ブラジルなど周囲の国々が馬鹿でかいだけで、実は面積は日本の3倍もあります。アンデス山脈の標高6400メートルの高峰イリマニ山を頂点とする高原・高山地帯から、東側は広大なアマゾン流域のの低湿地が広がるところまで、非常にバラエティーに富んだ国です。

ボリビアには6月末まで滞在する予定です。主に高地にある首都のラ・パスに滞在しますが、仕事で低地にも行きますので、この国で見聞することを短期の連載として皆さんにもお知らせしようと思います。またその内にホームページに写真なども掲載しようと思っています。

ボリビアへは日本からは直行便はありません。僕は名古屋空港発のブラジル航空機に乗り、途中ブラジルのサンパウロで乗り換えて来ました。名古屋発が遅れたため、サンパウロでの乗り継ぎ時間が15分になってしまい冷や冷やしましたが。しかし遠いこと。飛行機に乗っている正味の時間が25時間です。

ラ・パス空港の外の景色

首都ラ・パス(法律上の首都はスクレ)は、ほぼ富士山の山頂と同じくらいの標高にある、世界で一番高いところにある首都です。国際空港はここよりさらに上、4千メートルを超えた高地の高原にあります。話には聞いていましたが、飛行機が着陸態勢に入ると、機内の気圧を外気と合わせるためでしょうか、次第に息苦しさを感じ始めました。空気の濃さは標高0メートルと比べると、約3分の2だそうです。空港に降り立ったときにはちょっと歩いても息が切れましたが、すぐに慣れ、特に高山病の症状は現れませんでした。ひどい人は空港に降りると同時にダウンしてしまうそうです。飛行機から降り立って一番印象的だったのは、冷たく澄み切った高地の空気と、不思議なくらいに真っ青な空でした。

時差は日本より13時間遅れです。時差ぼけと睡眠不足、それに酸素不足でいささか朦朧とした意識で出迎えの人に会い、早速3ヶ月間滞在するアパートへ案内してもらいました。ちょうど3月に帰国した人がいたそうで、そこを引き継ぐ形で借りることにしたのです。値段は1日あたりに換算して35ドルくらいですから、外国人向けのホテルよりは安いでしょうか。もちろん掃除や洗濯はしてもらえませんが、3ヶ月間ホテル暮らしはつらいので、事前に頼んでおきました。

ラ・パスの風景

さて案内されたのは街中のビルの一つ。8月6日通り(ラテン・アメリカでは歴史的な日がよく通りの名前になっている)に面しています。商店などが入っているビルです。入り口もスーツケースを押して通るのは奇異な感じ。でも上のほうはアパートになっており、案内された部屋は、なんとこのビルの最上階、ペントハウスでした。広々としたリビングにダイニング。寝室も三つあります。一人暮らしにはとてももったいない気がします。外のバルコニーに出るとラ・パスが一望でき、雲の間からはイリマニ山も見ることができます。(この写真ほぼ中央にあるビルの最上階です。)

翌日は職場へ行きましたが、地図を頼りに一人で行ってちょっと迷って10分ほど遅刻してしまいました。予定されていたプログラムが遅れていたので助かりましたが。ここでの仕事は日本の農水省にあたる官庁の一室です。資料を調べ、現地を調査して植林プログラムに関してアドバイスするのが今回の仕事です。ちゃんとオフィスを一つ用意して待ってくれていました。専任の秘書まで付く職場は生まれて初めてです。秘書はエレナといい、肌の色からするとインディオの血が濃いようです。二人のお嬢さんがいるそうです。僕のデスクの上にはコンピュータまであります。でも聞いてみると「ああそれは動かないのよ。」

お昼は職場の食堂で食べることができます。もちろん現地食ですが、お皿の上に動物性たんぱく質(肉やチーズ)が一品、そして豆やご飯、イモなどが付けられます。質素ですが十分に食べられます。政府の高官はここでは食べないようですが、ラテンアメリカは身分格差が小さな国です。秘書もインヘニエロ(スペイン語で技官、結構偉いとされています)も一緒に着席しておしゃべりしながらご飯を食べます。会話はもちろんスペイン語ですが、15年ぶりに使うわりには何とかなるもので、ほっとしています。