ボリビアの首都ラ・パスに入る

ボリビアの首都ラ・パス

ラ・パスは独特の雰囲気がある町です。高いビルもあるものの、最近どこの国でも見かける超近代的な雰囲気の建物はほとんどありません。ある意味どこかくたびれた感じのする街です。あるいは狭い盆地の斜面にまでびっしりと張り付いている家々が、レンガ色をしているためにそのような雰囲気をかもし出しているのかもしれません。

しかし、聞いた話だと、ボリビアが鉱山で潤っていたころは(ちなみに皆さん社会の時間に習うとおり、今でも鉱山が多い国です)、ラ・パスの街もすごくにぎやかで、1920年代には既に市内を電車が走っていたそうです。なぜかこの電車今はもうありませんが。多分多くの南米の国々と同様、ある意味日本よりも先進国に近かった時代があるのでしょう。無論そうした地下資源から得られる利益を独占できた人たちの間のことだけで、大多数の人たち、特に先住民の人たちには関係のないことだったのでしょうけど。

標高が高いせいか、既に乾季に入ったと聞いていますが、通り雨がある日が多いです。朝などは、盆地の底を霧が流れていたりします。昔登山をやっていた僕には、空気の冷たさや流れる霧を見ると、なんだか上高地あたりの雰囲気を感じ取ってしまうのですが、その山の中の霧がビルを覆うように流れていくのですから、なんだか不思議な感じがします。

標高が高いせいでおきる現象が二つあります。どちらも気圧と関係するのですが、まず、日本から持ってきた密閉した袋はすべてパンパンに膨らんでしまいました。今にもはじけそうです。ラ・パスではコンピュータの故障も多いのだそうですが、原因の一つが部品が膨張して破裂するのではないか、と言われています。もう一つは沸点が低いことです。お湯は80度くらいで沸騰してしまうので、お茶を入れてもすぐに冷めてしまいます。それにパスタや麺類をゆでても、なんだかうまく仕上がりません。

街の中には無論洋服を着て歩いている人が圧倒的なのですが、民族衣装を着たインディオの女性たちも数多く見かけます(この人たちはチョリータと呼ばれています)。どこの国でもそうですが、男性は民族衣装を着なくなるのが早いようで、ここでも男性の民族衣装は帽子くらいしか見かけません。そして露天で雑貨や食べ物の店を出している人たちのほとんどはインディオのようです。お隣のペルーの首都リマでは民族衣装を着た人たちはほとんど見かけず、アンデスの山の中へ行くと一挙にインカの世界に変わる、という雰囲気でしたが、もともとインディオの世界である高地に首都を作ったラ・パスは、コロニアルな世界とインディオの世界が混沌としている印象を受けます。

そしてここでは他のラテンアメリカの国のように、いきなり「チノ・チン・カン・チョン!(中国人を揶揄する言葉)」と言われることがありません。街中でもまったく外国人扱いされていないようです。インディオが多いせいなのか、中国人が少ないのか、そのあたりの理由はよくわかりません。僕の顔はグアテマラの先住民にはそっくりですが、ここの人たちとはちょっと違うと思うのですが。

ラ・パスの中心部はそれほど広くなく、何とか歩ける距離なのですが(歩きとおすと息が切れますが)、市民の足はバスやタクシーです。今まで訪れた国では、僕らのような仕事で来ている外国人はほとんどが通勤や買い物に自家用車を使っていましたが、ここでは多くの人たちが歩いて通勤したり、タクシーに乗ったりしています。僕自身も職場まで15分ほどの道のりを毎日歩いています。タクシーの数もものすごく多く、市内なら50円から100円くらいで乗ることができます。

驚いたのは、街中のあちこちにインターネット・カフェがあることです。なんと中には日本語が使えるコンピュータを置いてある店もあるそうです。また街のあちこちにATMがあるのですが、なんと、このATMはすべて国外のネットワークと接続されており、僕も日本の銀行のカードで、日本の銀行の僕の預金口座からお金を引き出しました。多少手数料が余分にかかりますが、これなら無理してドルを多めに持ってくる必要はありませんでした。それにこのATM、現地通貨であるボリビアーノの他にUSドルも引き出すことができます。説明も英語とスペイン語を選ぶことができます。うーん。この利便性はひょっとすると日本よりも進んでいるかも。

ボリビアは重債務国(日本も債権放棄を決めました)ですし、南米の中ではかなり貧困状態にある国だと言えます。ところが、ラ・パスの街中には思ったほど乞食がいません。いるにはいるのですが、他の国で経験するように、子供の乞食がしつこく追ってくる、というようなことはまったくありません。街中で車の窓を勝手に拭いてお金を貰う、というようなことをしている子供たちも見かけません(バスの車掌をしたりして働いている子供たちはいます)。タンザニアでも感じたことですが、大多数が等しく貧しいうちは、物乞いする人は少ないのかもしれません。あるいは、道端でわずかばかりの商品を並べて売っている人たちが多いところを見ると、ここの人たちのは、できる限り働く道を探す、ということなのかもしれません。