ボリビア・アルティプラーノの忘れられた土地

6月のはじめ、現地の調査に出かけました。目的地は首都のラ・パスがあるラ・パス県の南部の郡です。このあたりはアルティ・プラーノと呼ばれる4千メートル前後の高原地帯が広がっています。広大な土地に人口密度は薄く、大きな木はほとんど見られない殺伐とした、しかしある意味ではとても美しい台地が広がっています。

プレインカ時代の遺跡 この日はまずラ・パスを出てから道を南下し、さらに途中からは西に折れてチリへと続く道に入りました。遠くに見える山はチリに属し、太平洋まで車で4時間あまり、だそうです。しばらく走ると道の両側ところどころに不思議なものが見えてきました。なんだか四角い数メートルの塔のようなものが所々に立っています。色は土の色。ぽつんと一基だけある場合もあれば、数基が集まっているものもあります。同行のボリビア人に聞いてみると、プレ・インカ時代のお墓で、千年以上も経過しているとのこと。

プレインカ時代の遺跡 目的地の村へ行くために未舗装の支道に入ったところで、道のすぐ脇に一基立っていたので車を停めて見てみました。高さは4メートルくらいでしょうか。

プレインカ時代の遺跡 泥と植物の繊維を塗り固めたような材料で作られています。雨が少ない(年間の雨量は300ミリ程度)のでよく保存されたのでしょうか。幅は2メートルほど。

プレインカ時代の遺跡 一方の壁のちょうど人の顔くらいの高さのところに窓があります。

プレインカ時代の遺跡 中を覗いてみると、なんと、まだ人骨が入っていました。千年以上経っているというのに驚くべき保存状態の良さです。

プレインカ時代の遺跡 そして、注意してみると、この墓の周囲には無数の土器のかけらが散乱していました。墓に供えられたものでしょうか。それとも昔は墓だけでなく、このあたりが生活の場でもあったのでしょうか。それにしてもこんな時代のものが発掘も行われず、何の保護も受けずに残されているとは…。

ボリビアのアルティ・プラーノ その墓のすぐ先には橋がかかっていました。ほとんど人気のない場所にしては立派過ぎる橋ですし、橋の通称が Puente Japonés「日本橋」です。同行者に「日本の援助で作ったの?」と聞いてみたところ「違う」と言いますし、確かに橋を援助で作る場所としては寂しすぎるようです。僕らの車以外この道では一度も他の車を見かけませんから。その理由はこの先の村で明らかになりました。

ボリビアのアルティ・プラーノ さて未舗装道路に入ってからどれくらい走ったでしょうか。距離的には多分数十キロしかないと思うのですが、時間的には2時間近くかかってたどり着いたのはチャカリヤという村でした。ほとんど廃墟と化した家が並び、一角には朽ち果てたトラックや重機が放置されています。周囲の山にはほとんど植生がなく荒れ果てたままで、印象としてはゴーストタウンです。町の中心の広場に車を停めても人の気配がありません。広場の周囲の家も日干し煉瓦のみすぼらしい家で、建物の色も周囲の荒れ果てた山と同じ色。人が住んでいるのかどうかもわかりません。「ここは誰も援助していない、忘れられた土地なんだ」と同行のボリビア人。

ボリビアのアルティ・プラーノその内その数軒から人が出てきました。すべて年配の女性たちばかりです。土の色に染まった民族衣装を着たお年より二人は、アイマラ語でしゃべっています。

5人ほど集まった女性たちに聞いてみると、この季節、ほとんどの村人は集落の外にある畑でジャガイモの収穫をしているとのこと。別にまったくのゴーストタウンというわけではなさそうです。村の人口は約1200人だそうですが、実際には税金を取られるのを嫌って国勢調査に協力しなかった人も多いし(つまり国民として登録されていない)、また逆に都市に出て行ってしまった人もいて、正確な数字はわからないとのこと。

ここで聞いたのが、約25年前までここに日本の会社が経営する銅山があった、という話です。それで日本橋があるわけもわかりました。日本の鉱山会社が輸送用に作ったものだったのです。今では壊れかけた道も、当時はもっと立派で、良く整備されていたのでしょう。多いときには約100家族もの日本人がこの村に住んでいたとか。「日本人がいた頃にはこの村にも何でもあったんだよ」と一人の女性。「また日本人の力で賑やかな町にしてくれないかね?」

この銅山は既に閉鎖されてしまっているのですが、落盤事故で何人もの日本人鉱山技師が亡くなり、今でもお墓があるそうです。「体半分だけ掘り出されたけど、あと半分が掘れなくて助からなかった人もいたし、頭をやられた人もいたよ。かわいそうだったねえ」と、事故当時を生々しく語ってくれました。

ボリビアのアルティ・プラーノ僕らはその村を後にしてさらに先にある別の村へと向かいました。延々と続く木のない風景。100キロ走っても背丈より大きな木は1本もありません。そして写真をとるために停まった丘の上には、またいくつかの土器の破片がありました。多分数千年も続いているこの地区の生活の中で、日本の鉱山開発がもたらした賑わいは何だったのでしょうか。


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